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執筆者の写真早大 映研

新米プロデューサー日記③ 新米プロデューサー、映画を動かす。

 


 前回は、私自身の失敗をもとに、映画制作における「映画を動かす」人=プロデューサーの必要性について持論を交えながら述べた。自主映画の現場で、これも監督の仕事と割り切っているものの多くは、実はプロデューサーの仕事だったりするので、監督志望の人は、一度監督である自分が本当にやらなければならない仕事について整理してみるのもまた良いのではないだろうか。

 前回の映画制作の反省を踏まえ、私はどうにか、分業を行い、監督の負担を減らす撮影ができないかと思案していた。


 実際のところ、プロデューサーを欲しがっている監督の声をよく耳にする。そして、実際にプロデューサーをつけている例もわずかながら映画サークル内に、ある。

私と同期のTとJが「『映像研に手を出すな!』の金森(みたいなポジションのスタッフ)がいたらなぁ」とぼやいていた。

またも固有名詞が出てきてうんざりしている読者もいるとは思うが説明させていただきたい。「金森」とは漫画・アニメーション作品『映像研に手を出すな!』の主要登場人物のひとりで、仲間で自主制作アニメーションを制作するときプロデューサーに回るキャラクターだ。彼女の卓越したマネジメント能力によって、映像研は様々な苦難を乗り越えて作品制作を行っていくのだ。

 3年のHさんは、自身が脚本と監督を務める短編映画に、プロデューサーをつけている(これは稀有な成功例ではないか!)。それにより分業もそうだが、なにより作品を「コンテンツ」として世に送り出すことすら可能にしていたのだった。映画は観客に観られないことには始まらないため、私はHさんの行動力に感服していた。


 彼らの声を聞き、成功例を目の当たりにしたことで、どうやらプロデューサーが必要な監督志望は私だけではなさそうだ、ということを直感した。


 しかし、プロデューサーなんて誰に頼むのだろう――? 前回の撮影でプロデューサーが見つからなかったのだから、また探したところで見つかるのだろうか? 


 悩みに悩んだ末、このような結論に至った。


 「誰もやらないんだったら自分でやればいいか」


 そんなわけで、ここに新米の自主映画プロデューサーが誕生した。


 自主映画プロデューサーは、名乗ってしまえばもうそれでプロデューサーになれてしまう。こんなに簡単なことがあっていいのか? いいのだ。

 新米プロデューサーの仕事は、完全に手探りだった。定跡というものが存在せず、プロデューサーの数だけ方法論がそこにある。だから、著名プロデューサーのやり方を参考にすることはできても完全に模倣することは厳しいのだ。

まずは企画を作るところからすべては始まった。15分の短編映画だ。

企画のキモのひとつとして、監督・脚本・編集の完全な分業を据えた。低予算映画ならいざ知らず、自主映画は監督・脚本・編集を完全に1人の人間で完結させてしまうことが多い。まずはその前提を崩し、監督ひとりのみではなく各セクションに携わるスタッフの感性・感覚を作品に取り入れたいと考えた。

 もうひとつのキモとは、映画祭を見据えた作品を目指すという点だ。

 前にも述べたが、作った映画は観客がいなければどうしようもないし、映画の性格がまったく欠落してしまうことになる。より多くの人間の目に触れさせる機会を作ることを今回の企画では第一とした。多くの観客に観てもらうことで、サークル内に留めておくよりもはるかに質の高いフィードバックが望め、監督・プロデューサーの今後の課題解決への足掛かりにすることができると踏んだ。

 完全分業とはいったものの、今回は頼めそうな脚本家が周囲にいなかったこともあり、自分で書くことにしたが、それ以外はさすがに完全に分業しようと思った。


 監督探しの段階に入ったが、これもやはり誰に声を掛けて良いのかさっぱりわからなかった。監督からやりたい企画が持ち込まれたわけではなくプロデューサー主導で今回は動いていくため、まず他人の脚本を誰が好き好んで監督してくれるのだろう? という不安があった。

 しかしそこで、撮影講習会の時に監督志望です、と言ってくれた人を思い出した。彼女は1年生。監督経験はないらしい。そんなふわっとした人に頼んでいいのか迷ったが、映画研究会の新入生企画の練習としてこの作品に臨んでもらい、あとは私がプロデューサー業の傍らで手助けすればいいやと思った。彼女にアプローチしたところ、引き受けてくれた。一安心だった。

 あとは、監督とすり合わせを行い、シナリオの方向性を決めた。監督は、岩井俊二の『花とアリス』が好きだと言っており、幸いにも自分の好きな映画の趣味と合致したのでかなりシナリオ・ログラインづくりはすんなりと進んだ。あとは自分がシナリオを早めに上げるだけである。


 これらの作業を通して、自分は映画を作っているのではなく、ちゃんと映画を「動かしている」という実感が持てた。さては気のせいか思い違いかもしれないが……。「これからがヤマだ」と思っているので安堵しながらも身構えておこうと思った。


大森

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