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執筆者の写真早大 映研

北野陽太奮闘記

こんにちは!早大映画研究会一年生の北野陽太です。これが二つ目の投稿になりますね。今回は入学してから今までの映研で活動した内容を、ゆるーく書いていこうと思います。どこの馬の骨とも知らぬ大学生のサークル活動日記なんか誰が興味あるんだと鼻で笑うかもしれませんが、頑張って読んでください。修行です。




 私がまずやっと映画を撮り始めたのが今年の八月でした。今年の8月のカレンダーはほぼ自分の映画の撮影で染まりました。全てで撮影期間は九日間。今になってはいい思い出ですが、当時超過密スケジュールの渦中にいた私は、一ヶ月前に少しカッコつけて長めの脚本を書いた自分を殺したいと本気で思ってました。何せ脚本は一ヶ月前にはもう最終稿まで上がっていたのですが、試験期間が挟まって結局準備できたのが一週間程度でした。その間にロケ地決定や小道具の調達、打ち合わせや役者陣との読み合わせを行わなきゃいけなかったのです。真昼、8月の日差しに照らされながら助監督も連れず一人でゾンビのように日陰のない新宿を徘徊し、脱水症状になりかけながら汗だくでロケハンをしたのはいい思い出です。あの日、目白駅でちょうどハンドタオルを売っていたおばちゃん、ありがとう。


 まだ序の口でした。8月6日からデカルコの撮影がいよいよ始まりました。正直この日の撮影が一番キツかったですね。(あ、ちなみに私の撮った映画の題名は「Decalcomania(通称デカルコ)」と言います。編集中です)自分含めほとんどのスタッフが初心者で、私は「よーいアクション」というところを「よーいスタート」と言って笑われたり、ダメダメ新人監督でした。気合を入れていたのにも関わらず、自分の体たらくにプライドをズタボロにされ、そこに夏の熱気が私を襲い、初日は熱中症で吐き気に襲われ、気絶寸前の状態で帰路につきました。隣に吐きそうな男がいるのにも関わらず、僕に優しい言葉をかけ一緒に帰ってくれた友人の大友くんに惚れそうになりました。


 それから8/10 11 12と三日間みっちり一日撮影という地獄みたいなスケジュールをこなした私の「よーいアクション」には、すっかりベテラン監督ばりの年季が入っていました。現場での私の口癖は「今日一番きつい撮影じゃね?」でした。当然全てのデカルコの撮影で言っていましたよ。そんな頃、私はプライベートでとんでもない悲劇に見舞われます。彼女に振られたのです。撮影はまだ中盤、三日間の過密撮影を耐え切った私に神はとんでもない特大アッパーを喰らわせてきました。マジで神の人格を疑います。


 完全にやる気を無くした私は絵コンテも書かず17日の撮影に臨みましたが、屋外撮影なのにも関わらず天気は雨!圧倒的スタッフ不足!そして私の精神状態も相まってうまくいくはずもなく、追加撮影になってしまいました。そこから無理やり立ち直って撮影の鬼になった私は25、26、27、30の撮影を終え、やっとオールアップしました。撮影後半の私の目は完全にキマっていたと思います。後半の撮影で特に印象的だったのは27日です。27日は17日の追加撮影で、あきる野市の武蔵五日市というところで撮影しました。早稲田から1時間半くらいかかる超山奥です。そこで私は絶対にやってはいけないことをしてしまいます——————衣装を家に忘れたのです………。

夕方のシーンで午後集合だったのですが、家に取りに帰れば完全に日が暮れてしまいます。そこで、比較的武蔵五日市から近い青梅線沿いの昭島市に住んでいる友人に急遽連絡を取り、元の衣装と似ている衣装を私服から選んでもらい、監督である私が猛ダッシュで昭島までとりに行き、なんとか撮影を終えました。


他にも25日の私の自宅にての撮影で、あるスタッフが勝手に私の机を漁り、見られてはいけないものを見られたり、音声機材が壊れまくったり、他の撮影で大友君が自分の家の車で事故ったり、疲労困憊しているときに「北野さんって、四千頭身の後藤に似てますよねw」というどう反応していいか分からないことを言われたり、たくさんのハプニングが起きました。


さて、ここまで読んでもらいましたが、大変なだけで映画作りの面白さが全く伝わってこないでしょう。映画研究会にとってマイナスプロモーションですね。確かに私自身も母に「そんな大変な思いして何で映画作ってるの?単なる趣味でしょ?」とよく言われました。当時は母に反論できる言葉を持ち合わせていませんでした。しかし今なら言えるのです。確かに特に監督は辛くて大変なことの方が多いかもしれません。自分の才能に嫌になることもあるでしょう。しかし、たまに上手く撮れたりして、自分の映像が憧れの監督の作品に、好きな映画のあのシーンに、一歩でも近づけたかなと思うような瞬間に出くわすのです。それは刹那的なものかもしれませんが、その喜びがそれまでの苦労をゆうに越えるのです。そんな、泥水の中にある砂金のような瞬間を掴むために、私は映画を作ります。それは他の創作物にも言えるのではないでしょうか?


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