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執筆者の写真早大 映研

バイバイ、てっぴー

 その訃報はあまりにも突然のことだった。


 秋田県大館市にある名画座「御成座」のマスコットキャラクターとして愛されていたうさぎの「てっぴー」が8月23日14時20分過ぎ、息を引き取った。瞬く間にSNSでその情報が拡散され、当然僕のところにもその報が入った。


 7歳半の生涯だった。


 あまりにも突然の知らせに、言葉が出てこなかった。懇意にしていた御成座の支配人やオーナー一家に電話を入れようかとも思ったが、みんなが憔悴しきっている中混乱させてはいけないという思いと、自分自身その勇気が出ないため、やめにした。火葬もすでに執り行われたという。


 てっぴーの生きた7年半は、僕の映画人生とも同期している。御成座が復活したのが、たしか2014年のことだったと思う。その年は国民文化祭秋田大会が開催されていた年で、その一環として大林宣彦監督作品が復活したての御成座で上映されていたことを記憶している。そこで、白いもふもふしたうさぎのてっぴーと出会った。




 上映が終わり、劇場を出てエントランスでくつろいでいると必ずてっぴーがそこにいた。足元をちょろちょろと歩き回ってはソファや本棚の隅にきまって隠れていたことが、ほんとうに昨日のことのように思い出される。


 高校時代。放課後は決まってスーパーマーケットのゲーセンで、制服姿のままガンゲームをやるか御成座で映画を鑑賞するかの二択しかなかった(それくらい地元は娯楽がありませんでした。いや、今もありません)。勉強はうまくセーブして、週に1回は御成座にかならず通っていた。ワイシャツにべとべとした汗をまとわりつかせた夏の日も、鼻水が凍るほどの冬の日も、欠かさず通っては映画を観て、てっぴーの白いもふもふに触れていた。

映画監督を本気で目指すために日本大学芸術学部への進学を本気で考えていたのもこのころだったはずだ。是が非でも難関私大の社会科学系の学部への進学を熱望する親と進路で対立するのは日常茶飯事で、家にいることすら苦痛だったので、より御成座で過ごした時間が尊く思えた。


進路が決まり、残された高校生活で作ったショートパロディムービーにも、てっぴーは出演してくれた。がむしゃらに作った結果、少し粗のあるフィルムになってしまったけれど、てっぴーはしっかりと映ってくれた。


 最後にてっぴーに会ったのが、たしか正月に地元に帰省した折に御成座に寄ったときだろうか。トルナトーレ監督&モリコーネ音楽『海の上のピアニスト』がフィルム上映されていて、圧巻の3時間を体験したことを覚えている。いつまでもてっぴーが御成座にいるものだと思って、あまり触れあえなかったのが悔やまれた。お盆も帰っていれば……そんなことをつい考えてしまう。


 東京にいるうちは、たぶんてっぴーの死をじんわりとは実感できないと思っている。地元に戻って御成座に「ただいま」を告げたときに、てっぴーにはじめてさよならを言える/言わなければならない気がする。ただ、今はこれだけ言わせてください。


 バイバイ、てっぴー。さようなら。かけがえのない日々と映画との出会いをありがとう。


大森

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