1958年に公開されたフランス映画『モンパルナスの灯』(ジャック・ベッケル監督)を観た。感想、というよりも印象的だった表現や描写について書いていこうと思う。
ストーリーを簡潔に述べるならば、第一次世界大戦後のフランス・パリを舞台に、若くして世を去ることになる恋多き孤高の画家・モディリアーニの愛と苦悩を描いたものである、と言える。
この作品を観終わったのち、鮮烈に思い出されたのは、登場人物たちが、フィックス・あるいはパンニングによって画面奥に映し出された空間へと、背を向けてすうっと消えてゆくという演出だった。
ジェラール・フィリップ演じる主人公・モディリアーニは、伴侶であり理解者でもある美術学校の同期・ジャンヌとの川辺での逢瀬の最後、仲睦まじくカメラに背を向けて川辺の彼方までゆっくりとふたりで歩き去ってゆく。ふたりの愛の結実を強く感じることのできるシーンだけに、この「背を向けて」彼方に歩くシーンは心にしみるものがあった。
かと思えば、モディリアーニの個展が開かれたものの閑古鳥が鳴いている画廊のシーンで、画廊経営者の女性は失意のうちに、異常なまでに整然と並んだキャンバスの隙間が生み出す画面の奥に消えてゆく。あるいは、アメリカの豪商との商談が反故になりモディリアーニの一行が帰るシーン、失意のモディリアーニを追いかけるジャンヌもまた画面中央部に向かって小さくなりながら、シーンは切り替わる。そしてモディリアーニがまた似顔絵を売り歩くのに疲れ、帰路を歩もうとした瞬間、彼の目の前に広がったのは大通りの道で、暗闇の中に続々と人が消えて行くではないか。
このくどいほど用いられる「背を向けて」消える演出は、映画が創り出した遠近法の効いた叙述技法のひとつとも言え、それが『モンパルナスの灯』で遺憾なく発揮されたと言える。しかも、必ずと言っていいほど画面中央部にどれもきれいに人が消えて行く。
上手、あるいは下手に消える舞台・演劇の法則から映画が離れることができた証左でもある。人物たちは画面中央に吸い込まれるが、完全には消えることが無いままシーンやカットが切り替わってしまうのは、ひっかかりを覚えるだけではなく、気持ち悪さが付随してきさえする。モディリアーニの人生の孤独を表すにはこの上ない表現のように思えた。
そしてもうひとつ、印象的な表現があるとすれば、ドアのモチーフだった。
冒頭、酒に酔ったモディリアーニは体当たりでアパルトマンの自室のドアを開ける。開けた途端にカットが切り替わり、空っぽで無骨な自室があらわとなる。ジャンヌとの猛烈な恋に目覚め、彼女の幽閉された部屋のドアを強くたたいたシーンからも、彼の強烈な愛情が見て取れる。極めつけは、先述の画廊にて傲慢な態度をとる画商の男がガラスのドアを開けて立ち去ろうとした瞬間、激高したモディリアーニの仲間がガラスにオブジェを投げつけ破壊したシーンもあった。このほかにも数か所、ドアが強調されて使用されるシーンがある。
この映画で物語が動く、あるいは感情があらわになる瞬間が、ドアの開閉(時には破壊)と同期していることは偶然ではないだろう。ジャック・ベッケルはドアの持つ分断の性質を見抜いていたのだ。ラストシーンも、ジャンヌの部屋を訪れるためにドアを開けた画商は、死の商人としてモディリアーニの死を告げにやってきたのだった。しかもジャンヌはまさか夫が死んだとは思っていないだろう。ここにも、複雑に絡み合った分断が見え隠れしてはいないだろうか。
ジェラール・フィリップは、遺作『危険な関係』(ロジャ・ヴァティム監督、1959年)の前年に公開されたこの作品に出演した。作為的な表情や過度なアクションはかなり抑えられ、一匹狼で無頼なモディリアーニを静かに、それも狂気を帯びて公演している。実際のモディリアーニの人物像と、フィリップが演じたキャラクターとが完璧に一致していたかはわからないが、大戦後の華やかな雰囲気にひとり取り残されていったモディリアーニの生涯とぴたりと一致するものだと思う。
音楽の使い方にも注目してみると、ここにも映像演出の技巧が見え隠れする。
前半は、トランペットのBGMが鳴ったかと思えば、カットが変わった瞬間、実は女性の隣でトランペット奏者が実際に吹いていた、という洒落た演出があったかと思えば、モディリアーニとジャンヌが結ばれた後のシーンは、オルガンが静かなコード進行を二人の幸せを祝しているかのようにしている。そして、だんだんと曲調は暗くなり、モディリアーニの没落に合わせて早いテンポでオルガンが鳴り響く。観客の心理とマッチした音楽を選ぶことが商業映画(自主映画もそうであってほしいが)ではマストとなっているが、見事にそれらをクリアしつつ映像の中のドラマの盛り上げに寄与するはたらきをこの映画の伴奏は繰り広げている。
『モンパルナスの灯』は、映像・演技・音楽の三拍子そろって優秀な数少ない映画と言えるだろう。
大森開登
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