一年の大滝です。夏のほとぼりが冷めきるこの頃。幹事長に頼まれて僕のこれまでとこれからについて早稲田の映画研究会の一人として紹介しようと思います。
ちょうど去年の今頃、取るに足らない日々の寂しさが積み重なって僕を大いに落ち込ませていた季節の変わり目に、勉強机で一本の映画を見ました。息を荒げながら僕の心を見透かしたみたいに嘲笑してくるその映画は園子温監督の「冷たい熱帯魚」。隠すことなく堂々とした暴力描写を含んだこの映画は僕の中に凝り固まっていた怠惰な常識を最も簡単に打ち砕きました。その場で僕の中に眠る野性を駆り立てたのです。今思い返してみればこの作品で、初めて身をもって映画に秘められる魔法について気づかされた気がします。僕という人は熱伝導性が結構高いみたいで「何か、遠く離れた知らない人の頭を、思いやりを持って壊せるような作品を作りたい。」その場でそんな志を抱きました。これもおそらく映画研究会に入ったきっかけの一つだったのでしょう。
そして春が来て、僕は早稲田の映画研究会に入りました。
今思い返してみれば、夏が始まるまでの撮影講習会やワークショップは全てこの夏の撮影のためにあったように思えてきます。春盛りの撮影講習会では午前中に簡単に機材の使い方を教わった後、午後はレンタルスペースで借りた一軒家でのいきなり本番の現場仕事です。当時のコロナ禍の世の中への想いを込めた作品でした。
5月、ようやく大学生活に小慣れしてきた頃に、兼ねてから大学前の年季の入った珈琲屋で計画を立てていた岩井俊二監督のパロディ作品「花とアイス」の本格的な撮影が始まります。監督はくじ引きで選ばれた、愉快な泉谷監督が役者と兼ねて担当しました。ところがどっこい、何せスタッフのほとんどが僕を含めて撮影初心者であったため毎回何かしら予定外のことが起きていました。果てに撮影は一通り終わり、今現在映画祭の度重なる延期に比例して完成も遅れているそうだけど、そろそろ完成するよって彼女が言っていたような、いなかったような!?
ちょうどこの頃から、僕はいくつかの短編映像を練習のために不定期に作成し始めました。どの作品も僕の心のうちを象徴的に表現しようとしたものでした。大学入学以降のどこかうわついた気持ちに創作意欲を掻き立てられていたのでしょう。ここで物語性の重要性について身をもって実感できました。
夏の間、7月から9月にかけて新入生たちは、自分で監督する作品を作り始めます。これが新歓の時から上級生らに多くささやかれていた「新入生企画」というものです。僕の場合は撮影の雑用を理由に人伝てにいくつかの撮影現場を回らせてもらいました。
まず、僕の夏は北野監督の「デカルコマニア」の撮影から始まります。彼の過密した撮影スケジュールをこなしていくことは、僕の映画への気持ちと相まってとても充実した時間になりました。ここで学んだことですが大学生というものはみんな数分ずれた時計をつけているようですね。僕も含めてみんな待ち合わせができない族が多かったです。
続いて、北野監督の撮影の最中流れで大友監督の「オカルト」の撮影をお手伝いすることになります。こちら撮影期間は数日と短いもので、でもみなさん楽しんで撮影に携わっていました。そのうちの一人が比類なく壮絶なカミングアウトをされた際には入学以来一番驚かされましたが、知る人はきっとそのうち知ると思いますので、その話はここまで。
夏休み最後の撮影はオムニバスの部員を中心としたミュージカル映画です。そこで一つの珍しい体験を共有させてもらいました。本作の監督は僕の中学以来の友人でちゃんと周りの人に配慮した行動のできる惚れ惚れしちゃう人格の持ち主です。彼は映画作りの主な目的を以下のように述べます。「自己表現のためである以上に、知らない人同士が仲良くなるきっかけを与えてくれるものだ」と。一瞥したところ綺麗事のように聞こえるかもしれないけど、彼は緻密に下準備をした上で、周りの人への配慮を決して見くびることなく、スタッフや役者を信用し、また信用されることで、上の題目をちゃんと実現させていました。撮影最終日のあの雰囲気はその場にいた人しか決してわかりませんが、無上に経験しがたいものです。お前すごいぞ、太田よ。
僕は中高一貫の男子校という特異的な環境で人格形成期の大半を過ごしてきたので、4月に入学して以降大学生活に大きな戸惑いを感じていました。そんな中に映画研究会を通して素晴らしい友人らに出会え、少なからずお互いの苦労を共有してきました。それはなによりも幸福な事だったと思います。一人の映画研究会の部員として僕のこれからについて考えた時、望むことはそれほどないように思います。ただ今まで通りに映画という媒体を通して自分自身を理解しようと探りながら、人間関係の拡張への緒を掴めたらなと今は考えています。
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