さて、もう1月も後半ですよ。早い!早すぎる!!!緊急事態宣言も出てしまい、外出をしなくなった私は年が明けてから毎日3~4本のペースで映画を観ています。最近のNetflix
とAmazonPrimeは優秀すぎて私を引きこもりにしてしまいました。正月らしいことは何もしていないのに、いつまでも正月気分が抜けない、、。
このままでいいのだろうか!いや・・・!ということで正月気分から脱却すべく今週もやっていこうと思います。今回は ”サークル員の愛するもの” を紹介していこう!てなわけで、サークル員がどんなものを好んで愛したのか覗いていきましょう。自分の好きなものと重なったらちょっとうれしい気がしますね。どんな話が聞けるか楽しみにご覧ください!今回は川村勇仁さんです。
1965年、家庭用8㎜フィルムカメラスーパー8が発売。のちに「テネット」を監督する1970年生のクリストファー・ノーランは幼少期からスーパー8で遊んでいたスーパー8ネイティヴ世代だ。1980年代後半からVHSが普及すると1996年、ハリウッドの要請を受けてDVDの普及を目指した家庭用プレーヤーが発売。ちょうどこの時期に”puzzle film”などとも呼ばれる、大胆な回想シーンの挿入やタイムシャッフルなどの時間系修辞によって巻き戻し・繰り返し鑑賞に耐えうるような映画が多く撮られた。「ユージュアル・サスペクツ (95年)」やクエンティン・タランティーノの初期作品がピンとこない人も試しに"list of nonlinear narrative films"と検索バーに打って作品リストを見てみて欲しい。リストアップされている90‐00sの作品数は桁違いに多い。なかでもクリストファー・ノーランは「フォロウィング (98年)」「メメント (00年)」など初期からその象徴的作風を貫いている。もちろん映画に限らず、J・J・エイブラムスの大人気TVドラマシリーズ「LOST (04‐10年)」もこの文脈を汲んでいるし、そのTVドラマブームに火を付けたのは他でもない "nonlinear narrative(非線形の語り口)"の大怪作「マルホランド・ドライ ヴ (01年)」のメガホンをとったデヴィッド・リンチによる「ツイン・ピークス (90‐91年,17年)」だった。そしてテン年代に入ってオンデマンド配信の普及と重なるようにフィルムとデジタルシネマの本数が逆転してから、フィルムの購入契約を結ぶことでコダック社の工場閉鎖を救った代表的作家はクエンティン・タランティーノ、J・J・エイブラムス、そしてクリストファー・ノーランなのだった。
僕がなんとなく父と同じ医学部を目指して浪人していた頃、国立競技場の向かいにある東京体育館裏の駐車場でよくテニスの壁打ちをしていた。「映画が撮りたい」なんて口が裂けても父には言えなかったその頃は、予備校をサボって映画を観るか、そこの駐車場でテニスボールが文字通りつぶれるまで打っていた。東京オリンピックの開催が決まってからいつものように駐車場に向かうと、工事用の大きな車が駐車していて知らない間に壁打ちができなくなっていた。それからすぐに大学で入ったテニスサークルで、のちに「テネット」を一緒に観に行くことになる彼と出会った。僕らには理系なりの矜持があったけど「テネット」は1回観ただけではまるで何が起きたのか分からなかった(笑)。巻き戻し・繰り返し、観ようかな。
「テネット」を観に行くすこし前、父に「グッドウィル・ハンティング」を観せた。精神科医の父が泣いているところをみたのは10年ぶりくらいだったと思う。父は昔、映画監督になりたかったらしい。”すべてのかつての天使たち” が織り成した映画のポエジーにまかせて、いま僕は「映画が撮りたい」と父に言える。例の駐車場をのぞいてみたら、まだダンプカーみたいなのが駐車していたけど。
東京より愛をこめて!(川村勇仁)
前にも『テネット』について書いてくれたサークル員がいましたね!私は『テネット』のとなりで『浅田家!』を観ていた人間なのでまだ観れていないのですが、こうやって映画を愛する人たちの文章を読むと観たくなってしまうものです。
お父さんとの話も良いですね~。映画は人と人とを繋ぐものでもあるなあと感じました。思えば私も、普段全く一緒に出掛けない母と、映画を観に行くときだけは一緒に出掛けたなあと思いました。(地元では車がないと映画館に行けないというのもありましたが…)
『浅田家!』もその一つです。映画を観た後は共通の話題も生まれますよね。
こうして、映画は公開された瞬間から、観る人それぞれの思い出と共に記憶に残されていくのだと思います。最近、なんとなく気付いたら一人で映画を観すぎてしまっている私に言い聞かせてやりたいものです。1本1本噛みしめるように、巻き戻し・繰り返し、観ていこうかな!
それではまた来週!!🎥
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